アルジャーノンに花束を 現実に起こりうる世界
いつか読もうと思っていた小説。
この話を知ったのは私がまだ小学生の頃。
ユースケ・サンタマリアがやっていたドラマで知りました。
当時の私にとっては話の内容が重すぎて
途中で見るのを止めてしまったのですが、
小説はいつか読みたいと思っていました。
- 簡単なあらすじ
パン屋さんで働いている知的障害者のチャーリーは手術を受けて天才になる。
しかし、知能的には天才でも心が追い付かないチャーリーには
色んな苦悩が待ち受ける。
また、障害者のときは理解すら出来なかった、
周りの人々の彼に対する態度や発言の意味が分かり、さらに悩み苦しむ。
そして、彼と同じ手術を受けたネズミのアルジャーノンの様子が
徐々におかしくなっていく。そして、ついに彼も徐々に元に戻って行く。
- 感想
- 人間にとって大事なことは
天才になったチャーリーは今まで周りの人達が
自分のことをどう扱ってきたのかを理解しし憤慨します。
また、彼に手術した教授たちの態度にも怒りを表します。
彼は手術を受ける前自分が人間として正しく扱われていないことを
理解してしまったからです。
私たちは「自分とは違う」と思った瞬間に相手を理解することを
止めてしまうのかもしれません。
特に知的障害者の場合、相手の趣味、思考などを理解しようと努力せず
「知的障害者」として同一に扱ってしまう。
それは、動物と接するときの感覚に近いのかもしれません。
この本の冒頭で、こんな説明があります。
他人に対して思いやりを持つ能力がなければ、そんな知識など空しいものです。人間のこの特性を欠いているひとびとは、残忍な嘲笑と空威張りの仮面のかげに隠れるものです。
また、チャーリーは物語の中でこんなことを言っています。
愛情を与えたり、受け入れたりする能力がなければ、知識というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこすものである。
知識というのは人に対して愛情を与える道具にならなければ
意味がないのかもしれません。
この話でいう手術は、チャーリーを思いやる行為ではなかったから
知識を与えられても、彼の人生を救うものには決してならなかったのだと思います。
2. もはやSFではない
この話は当時SF作品として扱われていたみたいです。
ただ、人工知能とか人間のサイボウグ化が進んでいる中で、
この話は現実に起こりうる話だと思います。
知的障害を持っている方が、化学の力で健常者と同じように過ごすことができる
というのは希望のある良い話のように聞こえます。
しかし、このチャーリーのように
以前の自分と、今の自分の扱われ方の差に傷つき
以前の自分を人として認められていなかったことに
悩んでしまうのではないかと思います。
その部分に関しては化学ではどうしようもなく
人間の愛情や思いやりでしか解決できないのではないか。
そんなことを思う一冊でした。